朝まで生テレビ

東浩紀という人の言うことの内容は理解できるが、議論でありテレビの収録である場で、携帯電話をふりかざして堂々と違うこと(Twitter)をしようとしてたと言ってのけてしまう人の出していい意見ではないと思う。

現在少子化問題などが言われているが、年齢的に言えば若者と呼ばれるような僕達20代の問題ではなく、彼のような30代の問題にも関わらず結局はホリエモン(堀江貴文)だなんだと、そうやって目の前にいる人ともまともに話ができないような人が、子供からお年寄りまで含めた人に新しいシステムを周知させることなんてできないと思う。

そして、彼が取り出した行為というのが、部分的にまるで司会者のごとく仕切りだした。

インターネット時代の若者世代なんて呼ばれる人は、SNSだろうがブログだろうがダイアリーだろうが、なんとなく自分から発信できる場所でないと話ができないというようなのを露呈したような気がしてならない。

彼はそれでも表現することが仕事になっているのでいいだろうが、そういう人が「若者に未来はあるか?!」みたいな場で、まるで若者を代表したかのように議論したり話してほしくないなと感じ、そのまま番組を見る気をなくしてしまった。

自分は正直、2ちゃんねるなんかは「便所の書き込み」ぐらいに思ってるけど、別に便所の落書きが悪いとかって思ってるわけじゃなくて。
学校の便所で先生の悪口が書いてあるとか、公衆便所に書きなぐることで、気が晴れるとか、社会生活をしていく中で直接言えないことをそこにぶちまけるのならいいと思う。

これは、匿名性とか掲示板というリアルタイム感とか、そういうことなんですが。

そんな公衆便所に閉じこもってる奴が問題なんであって。

その便所に閉じこもりすぎて、ほんの僅かな差に気付けたり、その僅かな差を面白がって娯楽的に見る人間が問題だと。

時々、仕事だとかで強調するような普通っぽい人が、執拗なまでにmixiに誘ってくるかと思えば、日記で仕事の話をしだして自分のことを「低脳」とか言い出して誰もコメントできないような自作自演を始める。
まあ、普通に字面で意味とかは理解できるっちゃできるんですけどね。

そういうことじゃなくて、最近目立った覚せい剤関連のニュースとかと一緒でね、わかるけど顔合わせたりして感情の流動とかの起こるところでそれを言われても困るっていう。
それで、実際に顔合わせる時には、こっちがその見てしまったことを出さないよう堪えているのに、現場とプライベートの違いみたいなのを指摘されて、そりゃ言いたいこと言ってるから落ち着いてるでしょうオマエはな。ってな感じだったりして。

いつまでも便所に閉じこもっておきたかったら勝手に閉じこもっとけよ。って思うんですけど。

そんな便所の中の話を、世の中の情報と捉えちゃう人間の問題ですよね。


そういう人が増えてくると、こうやってすぐに軽くキレちゃわないと議論できない人が増えるのかなと。
でも東さんも最後まで議論は続けてたけど、ある意味押尾的にも見えたり。
それでいうと、それぐらいまでは織り込み済みのような田原総一郎の寛容さみたいなのって、どうなのって思ったり。

やっぱり夜中にこの番組は濃すぎます。

おぉ、こわ。