市橋容疑者
http://matome.naver.jp/odai/2124886163145567986
面白いサイトを見つけて、だら〜と見ていたら、こんなものを見つけた。
http://matome.naver.jp/odai/2124886163145567986/2125785356069936332
報道陣が、また無駄なぐらい群がっていたようで、加熱しすぎというか、犯人が自分で話を大きくし過ぎたとか思うけど、こういうとこから捕まるわけでもないないんですよね。
足取りとかたどったりとかってしてるけど、ニュースってそういう意味でもキレイ過ぎて気持ち悪いと思う時があります。
逆にネットの2chとかそういうところでは、「やらないか?」とか自分には関係ないとか思っているのか、テメェがネタとして勝手に話してるだけなのに、まるでその小さな世界で話させられているかのような、逆の気持ち悪さがあるというか。
報道されている実際の映像を見ていると、報道陣の加熱ぶりもそうだが、警察も頑張ってはるというか、報道陣vs警察みたいなのがあって、その間に自分たちのような民間人がいる。
そして、なんかの時にこういった場面での警察の報道陣への不信感みたいなものがあって、きちんと報道されないみたいなことが起きるような気がしたり。
そういう意味じゃ、ろくな場所も取れないくせに集まってみたような報道陣は、どんなにジャーナリズムとかをどこかで語っていたとしても、信用できないのかなと、そういう風に思いました。
朝まで生テレビ
東浩紀という人の言うことの内容は理解できるが、議論でありテレビの収録である場で、携帯電話をふりかざして堂々と違うこと(Twitter)をしようとしてたと言ってのけてしまう人の出していい意見ではないと思う。
現在少子化問題などが言われているが、年齢的に言えば若者と呼ばれるような僕達20代の問題ではなく、彼のような30代の問題にも関わらず結局はホリエモン(堀江貴文)だなんだと、そうやって目の前にいる人ともまともに話ができないような人が、子供からお年寄りまで含めた人に新しいシステムを周知させることなんてできないと思う。
そして、彼が取り出した行為というのが、部分的にまるで司会者のごとく仕切りだした。
インターネット時代の若者世代なんて呼ばれる人は、SNSだろうがブログだろうがダイアリーだろうが、なんとなく自分から発信できる場所でないと話ができないというようなのを露呈したような気がしてならない。
彼はそれでも表現することが仕事になっているのでいいだろうが、そういう人が「若者に未来はあるか?!」みたいな場で、まるで若者を代表したかのように議論したり話してほしくないなと感じ、そのまま番組を見る気をなくしてしまった。
自分は正直、2ちゃんねるなんかは「便所の書き込み」ぐらいに思ってるけど、別に便所の落書きが悪いとかって思ってるわけじゃなくて。
学校の便所で先生の悪口が書いてあるとか、公衆便所に書きなぐることで、気が晴れるとか、社会生活をしていく中で直接言えないことをそこにぶちまけるのならいいと思う。
これは、匿名性とか掲示板というリアルタイム感とか、そういうことなんですが。
そんな公衆便所に閉じこもってる奴が問題なんであって。
その便所に閉じこもりすぎて、ほんの僅かな差に気付けたり、その僅かな差を面白がって娯楽的に見る人間が問題だと。
時々、仕事だとかで強調するような普通っぽい人が、執拗なまでにmixiに誘ってくるかと思えば、日記で仕事の話をしだして自分のことを「低脳」とか言い出して誰もコメントできないような自作自演を始める。
まあ、普通に字面で意味とかは理解できるっちゃできるんですけどね。
そういうことじゃなくて、最近目立った覚せい剤関連のニュースとかと一緒でね、わかるけど顔合わせたりして感情の流動とかの起こるところでそれを言われても困るっていう。
それで、実際に顔合わせる時には、こっちがその見てしまったことを出さないよう堪えているのに、現場とプライベートの違いみたいなのを指摘されて、そりゃ言いたいこと言ってるから落ち着いてるでしょうオマエはな。ってな感じだったりして。
いつまでも便所に閉じこもっておきたかったら勝手に閉じこもっとけよ。って思うんですけど。
そんな便所の中の話を、世の中の情報と捉えちゃう人間の問題ですよね。
そういう人が増えてくると、こうやってすぐに軽くキレちゃわないと議論できない人が増えるのかなと。
でも東さんも最後まで議論は続けてたけど、ある意味押尾的にも見えたり。
それでいうと、それぐらいまでは織り込み済みのような田原総一郎の寛容さみたいなのって、どうなのって思ったり。
やっぱり夜中にこの番組は濃すぎます。
おぉ、こわ。
今さら
http://www.cyzo.com/2009/03/post_1664.html
何を今さら。な記事。
この記事だけ見ると、ライブだとかコンサートはもっとミュージシャンに金が入っていいような話になってるけど、そういった興行を行う上で一番大変なのは、イベンターとか現場の音響、照明その他諸々のスタッフの方なので、高コスト体質なのは仕方のないことで、そこでミュージシャンが稼げるようなシステムなんてのは、それこそCD不況どころか音楽業界を低迷させるような状況になりかねないんじゃないかと思う。
そもそも、会場が大きくなればなるほど、いわゆるミュージシャンたちが何をしてるかというと、楽器隊はそれこそセッティングなどで音響などとの打ち合わせやリハーサルなど大変な面はあるだろうが、一部のアーティストと呼ばれてるような、バンドでいえばボーカルにあたる人間はと言うと、別にライブハウスでやるバンドみたいに機材の搬入をするわけでもなし、リハーサルなどが終われば後は楽屋でケータリングで飯食えたり至れり尽くせりな状態で、あとは一緒に楽しめばいいみたいな部分があるから、それで稼げるシステムなんてものは、やっぱり不自然と言わざるを得ない。
そして、この記事では別物のように書かれているCDリリースと演奏活動だが、実際問題として、知ってる曲のないようなライブやコンサートなんてものには観客が集まるはずもなく、それでは"音楽活動"自体が成り立たなくなってしまう。
だからやっぱり曲ありきのような形にもなるだろうが、だからといって先のことばっかり考えてライブ映えするような曲ばっかりだと、先のことを見越し過ぎた感がしたりして詰まらなかったり、正直同じ系統ばかりになると飽きてしまう。
その中で、いわゆるパンクやメタルなどのジャンルに秀でたバンドというのは、単体よりもフェスの方が良さがわかりやすいということだろう。
そして曲がジャンルに分けられたとしても、パフォーマンスなどがいいというバンドもある、先程は「楽しめばいい」と書いたが、逆に楽しませられなければ興行面では観客自体が減っていってしまうのだから、どっちがいいということではないと思う。
まあ、そうして言及していけば、というかこれに関して話していけば、原盤権を持ってる方が勝ちとかそういう話になってくるんだろうが、いわゆるレコード会社などを通さずに、原盤権なんやらをキッチリやってるようなとこは、自分とこで新曲が生まれてこなかったり、コンサート(あえてライブとは言わない)やる時も、なんだかんだでまるでブッキング自体が難しい外タレ並みに延期とか、それこそ金に物言わせてというか金があるから出来ることをやって、メンバー間で温度差が生まれる自体になったりという事態に陥って、結局はそういうところが話題性になったりする。
実際、そこら辺キッチリやろうと思うと、ほぼデスクワークに付きっ切りになるはずだし、そういう意味ではレコード会社や事務所の存在ってのも小さくはない。
そして、ある程度アーティストには相応の取り分渡して、エンターテイメントとか言葉遊びでスタッフはサラリーマンとして仕事するavexとかは、儲け過ぎてある部分で足元を見られて、中身を見ない株トレーダーとかに振り回されても、好き勝手やろうとするアーティストの尻拭いをしながら、一方で新人発掘のオーディションだとか各種スクールを作ったりして、それでももう一方で自分達が持っていたはずの夢を売らなくてはいけなくなる。
そういった意味では、そうやって大味なことしかできなくなったミュージシャン気取りがやるライブハウス(といってもZEPPクラス)よりも、本当にライブハウスでずーっと活動してるミュージシャンもいて、そういう大味なことしかやらない音楽しか知らないから、ライブハウスに来たら暴れるしか頭にないような増えたりもするわけで。
今はもうCDだけでなく、配信などの提供方法も増え、CD会社がそれこそ何がなんでもCDを売らなければという状況でもなく、出荷枚数を調整したり、ちゃんと仕事をしながら多様化に対応しているというか、音楽活動の中での売上枚数が現実的なところに落ち着いてきたというか。
結局ファンもその辺を理解しながら、実購入とレンタルとか着うたとかを使い分けて、そういった中で結局売れてるCDってのが「GREEEEN」だったりするわけで。
それこそ一曲は売れなくても、アルバムとして良かったり、昔ほどCM曲やタイアップで売れても簡単には浮かれなくなったミュージシャンとかも増えて、今は、多様なミュージシャンが、選ぶ事務所だとかレコード会社を間違わなければ世に出てこれる構造には結果的になれてるように思う。
まあ、今はいろんな形式の中で全体像が見えにくくはなってるけども、もっともらしく、『"泣けるパンク"の草分けバンドB』なんて言い方をして、それほどもったいぶるほどのことでもない。
むしろ、一生のうちでそんなヒットするような曲に恵まれるわけではない業界で、ちゃんとその部分ではやりきって、新しいバンドでやりたいことをやるというのは、ある意味ミュージシャンとしては真っ当ではないかと思う。
もっと言えば、音楽で仕事できるような生活を送ってこないで、バラエティー番組とか音楽バラエティーに出ても、形だけミュージシャンという体裁で結局は"本"という形で自分の人生を切り売りしなければいけなくなった人を取り上げて、興行システムだとかを語られても説得力がない。
さらに言えば、これを書いてるのはダイアモンド☆ユカイの本の為に記事書いてるライター。
こうやって都合よく適当なことだけを並べ立てて、このライターが何を書きたかったのかわからないが、この記事を読んで現役ミュージシャンには頑張れとメッセージをこめてるつもりなら、本当のミュージシャンは、元々あんたなんかに煽られる筋合いはない。ということだろう。
造反とその意味
最近、ニュースのトップを飾るのはこの話題で、レギュラーとなったキャスターや解説員がアレコレと熱い弁を振るうわけだけど。
僕も松屋となか卯の違いをうまく説明できないぐらいにしか、自民党と民主党の違いなんてものに詳しいわけではないのだけれど。
これまでも書いてきたように、最近の民主党はなんだかんだ言っても結局「政権取らなきゃ(選挙で勝てなきゃ)ダメだべ」という感じがすごいしてて、それまではいいなと思って見ていたものまで胡散臭く見えてしまったりと、判断するのがとても難しくなってしまいます。
そんな自分としては、自民党というのは安倍→福田の流れがとても不自然で、そのことがあったから今の麻生政権が小泉政権時代よりもあまり興味が持てないのだけど。
その中で、やはりそうなってしまったのは、メディア(世論)が麻生氏に傾いたとしても、どこか反麻生的なチカラが裏で働いた感が拭えない。
それで大局(総裁選)が麻生氏に決まって、内部のことよりも世間の関心がその大局に向いた時に、その"裏の人"に下げた頭を振り払うようにしていろんなことをしているようにも感じてしまう。
渡辺喜美は
「自民党が昔の古い体質に戻ってしまった」
といった発言をしているが、テレビのニュースぐらいしか見ない僕でも思うのは
「その古い体質に戻ってやろうという動きを止められなかったのは自分達じゃないのか」
と思ってしまうわけです。
定額給付金などについては、僕個人としては金額如何であろうが貰えれば嬉しいなと思いつつ、賛成でも反対でもないのだけれど、ああだこうだと専門的な分野に特化したようなことを言いだしてアメリカのエコだとかに関することよりは、よっぽど現実的でわかりやすい政策だと思っている。
各専門家なども時折メディアでも発言しているが、ここら辺は受け取り方の問題の方が大きいんではないかと思う。
僕は、それでもきちんと"仕事"をしてくれるのならばいいとは思う。
ここまできたら、逆にもっと日本政治の基本的(根幹的)なところへと戻って、なんで衆議院と参議院があるのかとかいう「小学生の社会」的なところからもう一度考えてみてもいいなと思ったり。
僕が丁度小学生とか中学生の頃というのは、テレビのバラエティ番組でそういった教育の分野に切り込んだ番組も多く、紳助のサルでもわかるニュースだとか平成教育委員会は好きでよく見ていた。
自分がそういったものを見て育って、今はネットなどで十分だと思っているが一時マスコミに強い憧れを抱いたのは、それらの影響が強いのかもしれない。
そういえば、この頃は今とは逆にいろんな議員がどんどん自民党に入っていった時期だったような気がする。
ただ、そういった良かったはずの文化も秋葉原に象徴されるように「萌え」だとか「ツンデレ」だとか、現場人間のエゴが強烈に反映されたものばかりが出てきてしまうと、正直引いてしまう。
今の麻生政権というのはそういった危うさを孕んだものなのかなという風に最近では理解とまではいかずに思っている。
その辺は"裏の人"が誰かわかればクリアになりそうなものなんですけどね。
鶴の一声を言ってしまったのは誰か。
結局、肩書きなどが偉くなろうが結局"本当にわかってない人間"はやらかしてしまうわけで、横峰さくらのさくらパパがなんとなくこっそりと議員になって、裏でやってたことは不倫とか、他人任せにすると結局はそんな気がしてしまう。
誰かやるだろうのなんとかなるだろうの、その誰かがいないのが一番怖いわけで。
造反する人たちは、これからどこに行くつもりなのか知らないが、政治の世界には耐震偽装事件のヒューザー小嶋社長のように不審に近づく人間も多いわけで、離党していく議員さんたちにはいろいろ見えているかもしれないけれど、それが結局届かなくなるのなら僕達には無意味なわけで、僕は特にそういった大雑把な話よりも大阪府民ですので橋下知事の話の方が関心深く、国のそういったことは心配するだけです。
めくれ返る自由
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090102-00000510-san-soci
2ちゃんねるは嫌いなので、そこに言論の自由がどうだとかいうことには興味がないのだけど。
何気なくサラッと見た記事の中で、最後の部分が気になってしまった。
>“犯行予告”を書き込んでいたらしいことから脚光を浴び、
いわゆるネット記事なので、どこまで編集されてるかわかりませんが、本当に新聞社の記者が書いた記事であれば"脚光"という言葉を使うのは非常に気持ちが悪いな、と。
注目を浴びるという意味では、別にここで使われてるような使い方でも全然問題ありませんが、やはり言葉の印象度で言うと、"脚光"という言葉はいい意味のようなイメージが強い。
これを書いた記者が2ちゃんねるをどのように捉えていたかわからないが、言葉だけの世界で自分たちマスコミがどんなに頑張ろうが、それでも世界は変わらないのだと白旗をあげているような感覚をおぼえてしまった。
そうでなくとも、基本的に"言葉(文字)"だけの世界を取り上げるのに、言葉のイメージを無視しているのだとしたら、その時点で「なんだその服従は」という感じだ。
確かに現実はそうなのかもしれないが、あまりにもこの記者の世界は狭すぎるような感じがした生ぬるい正月の日でした。
今の政治に関するコメント
他のところで書かせてもらったコメントなんですが、自分の正直な今の感想だと思うんですけど、ちょっと自分でも忘れてしまいそうなので、自分とこにも残しておきたいと思ったので貼っておきます。
なんだかお忙しいとこすいません。
たしかにその通りだなー、と思いました。
ただ、その中でいくつか。
僕自身は前総理の辞任に関しては、それこそ何も考えずに大局に乗った多くの人が、劇場に躍った後の必死で直接的に純度を増した政治の限界。
2chだとか、裏(公式の場でないところ)であれこれと囁かれる批判も見えてしまうから、
「それ言うなら働くのなんてシンドいから金くれ」
というのと同意語に近いニートの言い分を、背負おうとして(背負おうとするから)背負えなかった、ニート息子を背負いながら教科書通りの外交はできなかった。
というのが前任だと思っているので。
そもそも、麻生氏を先送りする形で安倍氏に決まった時に、自民党の裏の人(そういった実像があるかどうかは別にして)が2世(安倍氏)ならいい具合にできると思ったのかは知りませんが。
「選挙対策」として麻生氏を任命したのであれば、そもそもが間違いだと思うんですけども、それとも繋ぎのつもりの麻生氏が頑張ってしまってるというのか。
それらはわかりませんが、そうこうしているうちに、それまで流れに乗っていた人たちの中でその「本来のミッション」に"疑義"が生まれてしまった。
そういった部分で、ある種の説明責任を果たすような、麻生氏の言動はある意味で超現実的なのではないかと。
限界がこようがきまいが現実は続くわけで。
舛添厚労相の活躍はたしかに目覚しいところですが、これまで散々サボってきた負債を頑張って払うさまはご苦労様としか言いようがありません。
ですが経済などでは円が強い状況などが続き、アメリカはこれから強力な"政策"などを打ち出してくるかもしれませんが、そもそも空システムのようなもので躍ったのはアメリカで、日本の企業はそれこそ地道に地に足を付けてやってきていたっていう証にも思うんです。
そういった実は推し進めなくてもいい(様子を見るべき)ことも多くあると思うのに、厚労がなんとかなりそうだ、やれ次は経済だ、みたいな状況は「こっちも師走で忙しいのに正直シンドイわ!」という感じになってしまうんですよね。
だから正直僕は"末期"ということのそこまでの感覚がないといいますか。
ですので、とりあえず今メディアなどで麻生氏をこきおろす系の動きをする人たちには、後期高齢者医療制度のように始まってからブーブー言うだけのようなことはしないで中立的な報道が続いてほしいなと願うだけです。
僕は基本的にノンポリに近いので、こんな感じですいません。
しょーもないこと
http://r25.jp/b/column/a/column_details/id/110000005549?vos=nr25mn0000001
この記事を読んでてふと思ってしまった。
いわゆる環状線と呼ばれる線路で、いっそ一周全部電車を連結して、エスカレーターみたいに運行したらいいんじゃないかと思ったり。
メンテとか抜きにしたら、そうやって進んで止まってってやった方が、前の電車がどうとか関係ないので早いことないですかね?