居酒屋タクシー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080621-00000043-yom-soci
一部、包囲網的に批判が続いてる「居酒屋タクシー」について。
うちの父親は個人のタクシードライバーをしているが、馴染みの定食屋で一緒にご飯を食べてる時にそこの主人と「あんなのは東京だけや」とえらく息巻いてたのが印象的だった。
大阪では今や長距離客用のサービスとして「5,000円超分半額」というのが、ほぼ当り前になっている。
これは5,000円を超えた分の料金が半額、ということで例えば10,000円分乗れば7,500円、20,000円分なら12,500円と言った具合だ。
こういったサービスが出てきた背景まではここでは書かないが、要は「そりゃ、そんなのやってないで1回にチケットで長距離2万とか乗ってくれるんだったら、喜んでビールぐらい出すわ」ということらしい。
東京でタクシーに乗ると、大阪よりも長距離になる場合が多く、その1回で1日分の売上があがるのであればそれぐらいのサービスはやってもおかしくない、ということらしい。
また、そういったサービスが出来るのは1日おきに運行する法人タクシーではなく、毎日でも営業できる"個人タクシー"に限られてくるのだと言う。
個人的には、本当に忙しくて遅くなった時は仕方がないと思うが、わざわざ時間を潰して残ってまでなんでおっさんと2人で狭い車内で一緒におらにゃならんのかと思うが、公務員というのは昔っから「安定してる」だの「給料がいい」だの言われるのに、そこでそんなタクシー遊びをしてるなら、早く帰って好きなことしてる余裕ぐらいはあるだろうと。
そもそもタクシーチケットなんてのは、乗られる方も手数料を引かれたりしてあまり好ましくもないようで、それならばいっそタクシーチケット自体やめて、必要な分はタクシーの領収書を経費で落とす形にでもすれば問題もないように思うのだが、どうなんだろう。
少なくとも、職場のソファーで寝れる職員がいるってことは、役所と言ってもタクシーででも帰らなきゃ常に緊張感が張り詰めてるって感じでもないんだろうし、普通にいい職場だと思うけど。
どこに行くかわからないマスコミ関係者だとかならまだしも、基本的に同じところに通ってる役所に"タクシーチケット"なんてものが必要なのかどうか。
そういう"タクシーチケット"あるから、話がややこしくなってる気がしてならないんですけどね。
秋葉原通り魔事件と予告.in
秋葉原通り魔事件*1では、2chだとかは出来るだけ遠ざけている自分からすると、いろいろと思うところもあり、それよりもこの事件はもっと大きな流れで、それぞれに動きそうだったから見てる側に回るかと思っていたけど、何かまた違うような感じがしてきてしまった。
まずモラルの問題に関して
http://www.j-cast.com/2008/06/12021731.html
これは、普段ネット上で見られるマスゴミといったモノの見方も含めて、ネットならではの記事だなと感じた。
ネットニュースというのは微妙なもので、もともとJ-CASTという会社が『AERA』元編集長の方によってが立ち上げられているように、ネットの関連企業でありながら、いわゆるマスコミのことについても知っていなければできない仕事である。
自分も少なからず新聞社にいた経験から言うと、実際には今やアナログな"新聞"を作るのにもパソコンは欠かせなくなっている。
紙面のレイアウトは社内のPCで決められていくし、記事の情報は社内LANによって共有されている。
それでも、昨今では特に直接的なネット批判そのものは減ってきたように思えるが、アナログであることを強調するかのように、抜き出しの生身を前面に出した記事を書こうとする、それはなぜか。
それはあくまでそういったマスメディアの記事は、何人もの目や手を通って世に出てきているからではないかと思う。
確かに、ネット上の批判には正当性のあるものも見られるが、それも積み重ねられていくと個人的なものに帰属していってしまうことが多い。
個人のブログなどでは、たとえ影響力がある共感を得る記事を書いているといっても、それは正にどこまで行っても個人的感想でしかないとも言えるわけで、話題の取捨選択からそれが関わってくる。
それに対して、いわゆるソーシャルブックマークだとか、2chのニュースだとかというのは、逆に言わばマスコミがやってることを自分たちでやろうとしているのに近いと思う。
そこにはコメントが付けられたり、企業であるマスメディアよりは中立性が高かったりして、マスコミとは違うものにもなるが、やっていることとしてはマスコミのそれに近い。
だから、結局は既存メディアの反対派のような位置付けが多く、そういった視点で動いているので、例えば簡単にビデオをブログに貼り付けられる機能だとかが出てくると「画期的だ」とかってそれだけで記事になったりもする。
それならまだ自分はタイムテーブルで動いていて、なんとなく見るだけでも時間感覚のわかるテレビを見るんだけど。
それで、そこだけを見ると結局は相互批判に似た二分化になることも多いのだけど、そここそがJ-CASTのようなミドルメディアが真価を発揮する場所ではないかと思う。
週刊誌の記者などは、上記のように多分ネット上の人と同等、もしくはそれ以上にパソコン等に触れている時間というのは長いと思うが、そこは無視した記事を書こうとする。
それに対して、何かが起こったことを確かめ一通り見終わってから、一旦引いた場所から何か言おうとするネット側。
記者の側は、何かこういった事件が起こった際には、仕事だから行かなくてはならない場合も多い。
そして、特にこういった突発的な事件の場合、そこでできれば見たくないものを見てしまうこともあったり、自分にも危険が及ぶ可能性も考えたりすると、普段は軽い人間でも伸長になったりする。
そうすると、やはり記者たちの目はこういった異様な光景に向いてしまうのだと思う。
そういう意味では、それは自分たちが普段やっているような日常ではあるのだが、「これはひどい」タグの付くような記事を見て、それをブログで取り上げて言及するようなのに似ているのではないか。
そうなると、どんだけそのことをわかっていたのか知らないが、普段は一言で片付けてるような奴が、何かあった時だけ正当性を主張して、中立性だとか公共性だとかって言葉を使って真剣に話そうとしても、あくまで実際に行動するさまざまな職業の人と違い、あくまで直接さまざまな職に就いていて、実際にそれらを動かすできる人とは違って、起こってることを伝えたり、違った切り口で見方を変えてみせるけれど、伝える相手のことが見えていない、ズレた報道と変わらない。
そうなると、どっちも結局やろうとしてることは同じなんじゃないかと思ってしまう。
ちなみに自分は、こういった週刊誌の類は、軽いライトな話題でもごたごたと文字数を稼いでクドくなって、活字中毒のように気持ち悪くなってしまうので読まないが。
そういったところで、普段はネットの声を「無視」している旧来の既存メディアとは違い、ネット上の声もいわゆる世論としてある程度受け止めているミドルメディアとではまた少し記事が違ってくる。
R25もそれに近いものもあるが、あれはコンセプトがR25の世代の現実に近づいて書こうとしているので少し違う。
そういった意味では、ブクマとかでいろいろ付けたりしたい人にとっては、ミドルメディアの記事が一番あれこれ言って楽しめる記事なんだろうかな、と思う。
少なくとも、こういった記事にブクマコメントでゴタゴタ言ってるやつには、この秋葉原通り魔事件の凄惨さは伝わりきってはいないと思う。
そもそも「モラル」と呼ばれるもの自体が、善か悪かはっきり分けなくてはいけないものとして考えること自体が無意味ではないかと思うのだが。
そんなもので、マスメディアの正当性なんてものは揺らいでいいと思う。
そういったものに対して、予告.inというものが登場した。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0806/12/news036.html
こういったことを考えることは素晴らしいし、これ自体はいいと思うし、実際に作ったことに対してもすごいな、と思う。
ただ、「0億円、2時間で作った」くらいの売り文句はかまわないが、記事の最後に載っていた作者の一言が非常に残念に思った。
「最近は、ネットの悪い部分ばかり取り沙汰され、いい部分があまり出てこなくて悲しい。2chの住人の地道な活動などが、こういうツールやサービスを通じていい方向に使われれば」
まあ、これも言葉が切り取られている可能性も高いと思うが、この言葉だけを見てしまうと、事件の凄惨さや、何かを守りたいと感情から来るものではなく、自分の日常の延長上でなんとなく作った感しかしない。
これが
「ああいったことが二度と起こらないでほしいと思い作りました。」
ぐらいのことまで言うのであれば、素直に賞賛もできたと思うが、これだと総務省への遠回しな売り込みのようにも取れてしまう。
実際、警察官になったり、そういう警察官だとか自衛官などになろうとする人間の中にはそういった人間が多い。
それに対して、やはりIT系には例えば堀江貴文だとかのような、技術を使って「これっていいでしょ」という感覚はあっても、正義感という感覚まで行く人が少ないように感じる。
なんというか、犯罪に対する認識が低いというか、例えば女性の性犯罪に対しても男性警官で対応してしまう旧来の警察のような感覚というか、そういったものに近いような感じがしてしまう。
自分は政治のことはよくわからないが、数億というのは高すぎると思うが、そういう部分に対してある程度の予算が必要だとは思ったりする。
今回の「予告.in」も、やっていることが理に叶ってはいるのだが、結局は人海戦術。
「通報するボランティアは多い」なんて言ってはいるが、それはこの作者の人がよくいく場所にその人がいるだけで、「どこそこの見回りおじさん」と大して変わりはないように思える。
そうなると、本当にそれで今回のような犯罪が防げていたのか、ということになる。
ネットならクリックするだけで巡回もできるといっても、人がやるなら限界もある。
それをどう超えるか、ということにモラルの問題はあるように思うのだが。
「私は不謹慎なのでしょうか?」
ネット上で大衆化して、どこぞでそんなことを叫んでるだけなら、たとえニュースに取り上げられようが僕は何も言えないが、これを直接僕が質問されたのだとしたら、面と向って
「そうだよ、アホかお前は。」
って言うと思う。
興奮してメールで送ったり(送られたやつも言わばグロ画像送られて嬉しいのかわからないが)、撮ったはいいがどこにも出す場所がなかった奴は論外だが、動画配信サイトにアップしても、ブログで
「これはただの報道ごっこであり、そんなの撮るんじゃない。不謹慎だ。とか思われるだろうし、警官の人にも『人の不幸を撮って楽しいか?』とか言われました」
とか言うんなら、やはり最初から撮るなと思う。
例えば、逮捕される直前の人物が、各取材に対して「ウルサイ」などと言いながら時に暴力を振るわれても、カメラマンが黙って現場でカメラを回し続けるように撮影して、それを配信サイトにアップしたのならまだいい。
僕がこの事件を知った瞬間の感想は
「お前等の番が回ってきたぞ」
といったようなものに近かった。
その場にいるということは、一歩間違えば倒れていたのは自分だったかもしれないということであり、それを事件に遭遇したことに対して高揚感を人に話せるような感覚は、やはり無責任と言わざるを得ない。
それを「中継したかったからした。」というのなら、自分のしたことは自分でなんとかすればと言いたくなる。
撮ったことで葛藤が生まれたのなら、それはあんたのせいだろうと言いたくなる。その一方で
「もしかしたら報道のカメラマンはこういう気持ちになってる人もいるんだろうなぁ〜」
という言葉が出るのであれば、その人にとっては撮影することよりも、そうして実況を流して、そういった感想を書くことによって完結することであったのだろうと思うし、不謹慎だと思われても少なくとも撮影することに意味はあると考えたのだろうし、そうだったのだと思いたい。
今回の事件は、普段そういったリテラシーの問題などを常に眼前にしながら、それらを関係ないとばかりに無視することで大きくなった産業の地で起こった事件であり、それらに付随してまだ大きな渦を起こすのであるないかと思う。
それは、それまで見たこともない自分に出会える世界が、この世にはあるということにも繋がっていくのではないかと思います。
*1:秋葉原無差別殺傷事件とも呼ばれるが通称的にこっちを使います
孤高のはてな人
基本的にあまりダイアリーを見て回るようなことはしてないのですが。
時折、どうしてこうも、はてなダイアリーを使っているような人は、何かにつけて批評したがるのか、と思うことがある。
自分の場合は、傾くだけ傾いていくある種の情報に対して、どこかに投げたいものを書く場にはなってるけど、私的なことは別にしてる。
で、少し前もちょっとブクマを覗いて、相変わらず夥しい量のブクマがついてた記事
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000028042008
を見て思ったこと。
これも、記事見てある程度いろいろ思って、結局だらーっとブクマ見て納得。
みたいな感じだったけど、まあブクマなんか使ってる人は、そんな風な使い方で腑に落ちる答えを当り障りなく探ってるんだろうなと思いつつ。
まあ、自分の答えとしては、「無料」がどうとか言ってる時点で、それは配信側な意見なわけで。
ユーザーの側の意見として言えば、本当に"無料"だとか思ってネットでいろいろやろうとすると、適正な手段でその"無料"と思っていたコンテンツ(音楽配信なり)を手に入れようとすると有料であるという壁にぶち当たる。
そこで、一番最初の入口が"無料"だった人間が、P2Pに走ったり、YouTubeに走ったりするわけで、そういう意味ではここ数年でやっとネットやってる人間に対する見方も変わったと思うけど。
で、そもそもこの人が話の起点に置いている「コンテンツ無料」なんてことに共感を得ないまま読み始めるのだが、そうすると、結局この人は自分の話をしてるのだなと思い、そうして見てみるとエイベックスの人間なわけである。
エイベックスといえば、いわゆる看板は浜崎あゆみや倖田來未、最近はEXILEも入りますか?
な、わけだが、「浜崎の新曲(talkin' 2 myself)着うた無料配信!」とかってTVCMとかまで使って勝手に大々的にやってたのはおたくらじゃないのかと。
で、その頃どんな状況だったかというと、浜崎は突発性難聴で耳が聴こえなくなり、倖田はメディアに出ることなんて考える暇もないまま、酔っ払いのようなトークで見てる人が喜ぶと勘違いし始めてたわけである。
倖田の件は別にしても、浜崎の件は言うなればエイベックス側の管理体制がずさんだったからと思っている自分としては、そうやって小難しいことばっかり考えて現場で「体調悪いんですけど」って言っている人間を何ともできないで、人間的なことがどうとか言うのかといった感じで。
おたくのとこはエラそうに言ってるけど、何もできてなかったよね。
という感じでしかない。(まあ株価に関する移籍報道とか見てると、その中で浜崎が特有のヒロイズムを発揮したのかは知らないが)
で、そういうことが起こっているのに、他人事とばかりにこんな記事をせっせこと書いて、確かにそのことが企業としては大事なことかも知れないが、いわゆる浜崎をカリスマとするような一部の人間にとっては、「あゆの為に」と思って動く情熱が冷まされて、事務所への不信感になり、またそれを逆にユーザの声として認識し、再び「あゆは好きにさせておけばいい」という方法論がマニュアル化され、管理してるはずのコンテンツが「結局勉強ばっかりしてる人には理解できない」みたいなこれまでの状況と変わらない感じになる。
で、こういう経済学とかいうのにかこつけたように男ではなくて女性には厳しいスケジュールをひいて悲劇のヒロイン的売り方に至る。それを甘んじて受け入れるように、いろんなニュースやらが世の中に出回っていて、「その曲で楽しいのは言葉書いて声出して鬱憤晴らすような本人だけじゃないの?」と思わなくもない。
同じavexの稼ぎ頭として出荷枚数を大々的に出してくる最近のEXILEの方はコラボやらなんやらで妙に自分らが楽しいだけじゃないかと思うようなことが多かったが、ここに世の女性の弱さというか、まだまだ大して何もしてないような男が浜崎見て女を語るような男尊女卑みたいなのが残ってるのかなという気がする。
ああ、なんか言いたいことがズレてる気がするけど、面倒臭いからここらへんでいいや。
まあ、そうやって「コンテンツは無料」だとか言ってみて、目新しいさばかり追いかけて振り回せる世間ももうないと思うけど。
そんで、ブクマの方はなんか知らないが、どっからか「イケメン」というワードが割り込んでくる。
まあ多分それは記事の内容とかどうでもいい人間がいるってことでしょうね。
んで「原価がゼロにならないビジネスの繁栄」とかいうことが出てくる。
それはいいとして。
ここまでくると、普通はそのブクマをつけてる何百人という人にとって、そんな「無料コンテンツ論」なんてものは実際に関係ある人なんてほとんどいないはずで。
にも関わらず、ああだこうだ言おうとする。
その時点でよっぽどな時間の無駄遣いなわけですよ。
はっきり言って、そうして考えてることが解決したとして、それがあなたの実生活にフィードバックするのですか?そんな時間あるなら、もっと自分のことやったらどうですか?という感じさえする。
そして、自分達で書いて考えるということばかりが先行して、例えばそのことに関してよくできている書籍や創作物に対して度外視する傾向がある。
はてなの人間はそこが怖い。
自分も一ユーザーとして意見を言ってるだけなんだ、といった感じで、実はいろんなことに必死になろうとする。
そして、「そんなん言うてもそれを選んで使ってるのはあなたじゃないですか」と言いたくなるようなタイミングで、とかく不親切なサービスである「はてな」という会社をいじりはじめる人間が出てくる。とかく物事を真芯で捉えることがなく、タイミングをあえて外そうとする人間が多いのである。
面倒臭い人間関係だなーと思う。とりあえず自分は御免だ。
そう考えてると、時々大して興味も造詣もそんなに深くはないのにいいエントリを書いてしまった人間を見てしまうと、自分が前に書いた
「休みたいなら辞めろ」発言
http://d.hatena.ne.jp/kazkichiki/20080427/1209327937
の雨宮処凛に被る。
自分としては、エントリを書いてアップした時点で答えが出たものが、コメントやブクマで広がっていき手に負えなくなったところで簡単に切り離す様子を見ると
「コメントやブクマでちょこちょこ言わんと、書いてみたらいいんや」
という気持ちが見え隠れする気がするのである。
自分で生み出しながら、望まない緊張関係。
そんなものを欲しがる姿勢が、暇なはてな人のような気がするのでありました。
ガソリン税の白い闇
気軽に書くと言いつつ、書いてみると長いな自分。と思いながら、連勤後の休みは、やっぱ疲れてんやなっていう当たり前なことを、半日近く寝た後に気付く休日の昼。
実は、車などには全く縁がなかったですが、昨年末頃にバイクの中免(AT限定)を取り、最近買った原付をボアアップなど改造して原付2種として登録し直してから、ちょっと遠いところへもバイクがあるお陰で気軽に行けるヨロコビを感じているわけですが。
いつもなら電車か、自転車だと1時間くらいかかるようなとこなんですが、そんな買い物も今までなら1日行事だったのが、半日行事に変わったり。
そうやって足があるかないかだけで、行動範囲が変わったり、時間の感覚が変わるもんですね〜やっぱり。
んで、帰りにマフラー交換だなんだで補給せず、残り少なくなったガソリンを補充しようと思ったら、近所のガソリンスタンドではレギュラーが売り切れ…。
仕方なく少し離れた大きなスタンドに行こうとしたところ、スタンドの看板が見えないような場所から既に長蛇の列が…。
まあ先頭まで行ってみると、バイクはトラックのとこってんで先に入れてもらえましたけど。
これまで自分にはあまり関係ないことがほとんどだった政治のことで、問題を実感したのは初めてかもしれない。
いわゆる暫定税率を上げようとする自民もそうだけど、「対案を出せ」と直接はっきりと言われても"白紙"としか言えない民主もどうしたものかと。
何かにつけて、よくあることのような気もするのですが。
ある程度"普通"の生活というものがあれば、そんなに簡単に"白紙"になるようなものなんてないと思ったりしないものなのか。
大きな分岐点で勝ちを手にできずに、それでも続く道でその分を簡単に取り戻せるわけがない。
本筋である実務を行いながら、議論を戦わせることはたやすいことではない。
それなら実務で大きくズレたところが聞こえず、まだ一般財源化など提案の中身が見える自民の話の方が聞くことができる。
どんなに頭の中にすごい世界観があろうと、それを形にできなければ何にもならない。
未来の見えないものの将来など買えない。
何も描けずに過ごす日々の中で、目の前にある真っ白いキャンバスは、白くとも深い闇でしかない。
国民の気持ちなんて言って、上っ面で繋いできたものが燃え尽きていく様子だけを見ながら、そっちでやってほしいものまで選挙だとかって喉元に突きつけられなくてはいけないのか。
話せばわかることのできることまで、選挙をする金こそあるのか。
やっぱり、そんなことまで一つの"おはなし"にしてしまう、政治なんて嫌いだ。
「休みたいなら辞めろ」発言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080427-00000002-jct-soci
なんだか深く掘り下げて書きたくなることばかりが最近多いのだけど、そればっかり溜まっていって、全然更新しないのも勿体無いので、いろんなニュースだとか見て、ぱっと浮かんだものは書いちゃえばいいや、と思いまして、ちょこちょこと書こうかと思います。
で、この記事なわけですけど。
よくこういう"発言の数"がある程度出て、記者の意見は明確にせずに実際に起こった出来事を元にして、客観的にそこにある問題を提起しようとする記事があるけれど、そういう記事で紹介されている意見というのを見る度にいつも思うことがある。
なら、もっと具体的にできることがあるんじゃないかなー。ということ。
この記事のタイトルも
『「休みたいなら辞めろ」発言は暴論?正論? ネットで波紋広がる』
となっているわけだが、これがトップページのトピックスに載るとなるとセンセーショナルに映ったりするわけで。
まあ、自分が常々いろんなことで一番問題だと思うのは
「誰かがいったことを元にして何か言おうとしたら、その時点で違うだろう」
ということなのだけど。
「休みたいなら辞めろ」ってだけなら、たしかに暴論(というか本当にそんな発言ならただの暴言)だと思うが、実際の発言を正確に追えば、
「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」
ということだそうで。
それに対する意見として
「かなりの残業をやらされて過労死に追い詰められた同僚のことを思い出した」
「言い方ってあるでしょ。…お父さんは前の会社の社長が無能なせいで働き詰めで欝にまでなった」
等というものが紹介されているが、そこまで具体的なことがあるならば、それに対してあなたは何かしたのですか?と聞きたくなってしまう。
少し不謹慎な勘繰りを入れれば、
「過労死した人と同僚だったあなたは、その人の状況に気付いてあげられなかったのですか?」
と思ったりもするし、
「あなたが直接言われたわけでもないのに、お父さんのことをここで言ってどうなるの?」
と言ってやりたくなってしまう。
だって残業が原因で過労死してしまったのかもしれないが、現場で一緒にいる誰かが気付いてあげていれば無理矢理にでも病院に行かせられたのかもしれない。
それとも、もしかするとその人には何かそこまでして働かなくてはならない理由があったのかもしれない。
お父さんは、もしかするとあなたがいたからまだ鬱で済んだのかもしれない。
まあ、いろいろ考えられるわけです。
個人的には、そういう記事を見て思うことがあって何か言ってやりたくなる人の気持ちはまだわかる気がするが、「そういう人もいるかも知れないが」ぐらいのことで反論しようとする人には、仕事にやり甲斐だとか、楽しみも見出せずに、それこそただ機械的に毎日をこなして「もっと給料と休み欲しい」って言ってるようにも聞こえるんだけど。
それはいいとして。
それもこれも、この記事自体にそもそも元記事があるわけで。
http://www.j-cast.com/2008/04/26019537.html
この記事からなら、まだ経営優先主義と労働関係法令というのも見えてくるんですけどね。
この記事を通して見れば、先程の例も「労働時間はきちんと守られていたのか」などもっと別の切り口からも見れると思うのですが…。
もとより、こういった記事を開く人には、「労働基準法とは」みたいなことからバイトしたての高校生に教えるみたいに説明しないといけないわけでもないと思うんですけども。
ニュースに更に元記事のある、ニュースの焼き増しみたいなものは、ただ問題をややこしくしてるだけにしか思えなくて、こういう記者の書く記事ってのが、一番無責任なような気がしてなりません。
ジャーナリストとして、客観的な視点というのは大切だとも思うけど、本人自体が何が大事なのか何も考えていないで、ただ言い方を変えて垂れ流してるようなので仕事した気になっているのなら、もっとその場で起きているという議論に踏み込んだ問題提起を出せ、正直その問題提起でオバマ氏のことなんてどうでもいい。政治部にでも行きたいのなら異動願いを出せ。
そして、元記事(J-CASTの方)に戻ると、雨宮処凛さんだかなんだか知らないが、こういうフォーマルなのかカジュアルなのかわからないような格好で、常識としてスーツ等を着用で集まっている人前に出てきて「私は真剣なんです」とばかりに物申そうとする作家とかいうのを見ると、
「そこまで大変な思いをしてサラリーマンをやるなら、自分が正しいと思えば自由にできるこっちの世界はいいでしょう?」
と小馬鹿にしているように見えてならない。
相手の土俵について何か話をしようとするなら、まずはその土俵にあがらなくてはいけない。
そういったところも見ると、こんな人でもいろいろと真剣に考えているのだから、なんとかしないといけないと
そもそも、何の記者会見だかもわからないが、一体どういった質問をしたら
「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」
という答えが返ってくるのかがわからない。
それこそ、わざわざ取材に行っているはずなのに、残業"させられている"という意識の記者が感傷的に経営論などを話す永守社長の言葉を受け止め、書きたてようにも思えるんですけどね。
そういう意味でもYahooの方の記事は、何の事実関係の確認も経緯も調べていないゴシップの域を出ない記事だなーと思うわけです。
本当に大事なのは、こういった記事に対してコメントを考えたり、その発言した人をどうのというのではなく、こういった記事を見た時に「もしかしたら自分の身近な人が、今、大変なのかもしれない」と思えることなのかもしれません。
「誰が為?」結局あなた自身の為
各地ではガソリンが値下げを始めたようですが。
自分はこの件について、原付には乗っていますが正直あんまり関わり合いになりたくないというのが正直なところです。
うちの父親は個人タクシーのドライバーをしていて、なんらかの世間話ではそういった話題が出てくるというところから、その辺り造詣が深いといえばそうなのですが、それが今の政治というものを通すと、途端に関わり合いになりたくないものに変わってしまいました。
自分は、結構昔は(っても今27歳の10年前とかですけど)朝まで生テレビを見てみたり、報道を見て今回の件のように内容は理解できるけども、基本的にそんだけ何でも好きなことやってた楽しいだろうと思う宮崎哲弥みたいには政治というものはよくわかりません。
今回も、暫定税率の期限切れ直前である最近は与党である自民党と野党である民主党とで、直前までああだこうだとやっていたようですが。
多分自分は、この問題について初めて見たのは前回のねじれ国会が生まれた選挙後で、民主党が「ガソリン値下げ隊」なるものを結成したというニュースだったような気がします。
自分はこの時の選挙は報道が無駄に頑張りすぎている感じがして好きでなく(この辺りmixiで書いてたのもってきます)、それまでの支持率をひっくり返して民主党に投票する人の心理を「自民党にお灸を据える」などと表現されたりもしましたが、根本的に政治として見た時にちゃんと仕事をしている感じのしない民主党自体があまり好きでありませんでした。
ただ、その時は国会で馬鹿言うぐらいしか知らない民主党がどうこうというよりも、それまで自民党に入れていて自民党を支持しながらも今回の選挙だけは民主党に入れるという人間のことが信用できない感じでした。
よく「政治」という言葉はいろんな分野でも使われ、例えば球界のナベツネ?みたいな非常に大きなチカラのように扱われたりもしますが、それ自体が良いか悪いかというのはまた別の話だと思うんですよね。
で、その時に与党であった自民党ですが、直接的な関わり合いのない、言わば完全に中立な立場である僕が冷静に見た感じでは、総裁選とかね、常識的に考えて世間で言われていることも気にしないといけないが、それよりもちゃんと仕事はこなすこと、大きな方向性は保ちながら柔軟に対応すること、その両立で大変で細かなケアまで気が回ってないだけのように見えました。
なんというか、勉強とクラブを両立しようとする学生が落ち着きがないのを見て、何か悪いことでもしてるんじゃないかと疑うようなもので。
要は「できるかどうか」でなくて、「やるのかどうか」の問題で、その機会を逃せば数年という時間の経過の後にプロに必要とされるかどうかという話を、プロスポーツ自体を否定してしまうようなお母さん目線で「もう放っといてあげたら」と思うようなハンカチ王子こと斎藤佑樹くんが良いか悪いか言ってるようなもので。
高校野球という、言わば"査定の時"に良かった人間をどこまで評価するのか。
野球というのは選手登録など何かとややこしいようで、当人主導で動けるのか、球団側が主導で動くのか、その辺りゴルフのハニカミ王子こと石川遼くんのようにはいかないみたいですね、面倒臭い。
当の本人も「自分はまだ未熟だ」ということで大学進学を選んだそうですが、まあ、プロになれば後はそっちを専門にやっていくだけですから。プロになったらなったでまだそこから先に成長すべき点があるはずなんですけどね。だから個人的にはこの件については当人がそこに飛び込んでいけるかってだけの話で、4年後とか言われますが多分ダメでしょう。
例えが長くなりましたが、自民、民主も似たようなもんですよね。
たまたま選挙の時に良くないイメージがあったので、なんとなくフレッシュさ(ってもいい年した方々にフレッシュもクソもないですけど)を求めたのだろうけど、そういうもんじゃないでしょう。
というのも、最近は無党派層である若年層の取り込み、あとは各報道機関の投票率があがるようになんとなく若い感覚で番組などを作ろうとするので、そういう感覚を求めるのかもしれないが、政治というか長い目で見るものをどう見るのか。
最近メタがどうとか、何を言いたいのかわからない文章がたまにあるが、要はどれだけ政治というものの範疇でモノを言ってるかどうか。それがわかるかどうかです。
政治家はいわば国民全体に対してのサービス業です。
昨今の各種偽装問題などで、迂闊な経営者が叩かれるように、政治家は本当の意味で自分たちの仕事について考えないと、どうなっても文句は言えないはずで。
参議院で過半数が取れたからといって、基本的には政治というものが世論を反映させるためのものである以上衆議院に優越があって、参議院を取れたのなら次は衆議院だ、と勝って兜の尾を締めるならともかく、どうも鬱屈した状態が長かったからか、浮かれた姿を多く見せる民主党は、どうも信用ならない。
そこで最初に挙げた「ガソリン値下げ隊」の話に戻るのですが、このことで民主党の議員たちが見せたのは「ガソリン"値上げ"隊」と誤って叫んだり、それを平気で何度も間違う姿。
「言った、言わない」なんて論争は馬鹿なものだと嫌われがちですが、政治というならことさら最低限の有限実行というのが求められるわけで。
その時はそこまで気にしませんでしたが、まあ誰かが言い出したそういう次の選挙はガソリン税で勝てるんじゃないか、って話に乗っかって、そこから慌てて勉強したのが見え見えなわけです。
あれですね、民主党がやってることってのは、前の選挙で民主党に鞍替えした人の考え方と一緒ですよね。
何がいいかってことはわからないが、とりあえずやり通そうとする。
柔軟な発想もないから、大雑把に大枠だけで何かを判断しようとする。
それぞれの党の方針ははっきりしようとも、暫定税率が切れる期限までになんとか決着する時間はあったはずで。
管直人と東国原宮崎県知事が道路特定財源について議論をしている時に、東国原知事は「民主党は対案を出して下さい」と言っていたが、それに対して「何もしないことで対案を出している」といったことまで言う始末。
要は「ちょっとわかりにくいから、文章にまとめてきて」って言ったら「なんでわかってくれないの」って言ってるだけのことで、民主党はあれこれ言うが、結局仕事をしていない。
この議論が平行線だとも言われたが、他人の話を全く聞くこともなく、それで世論の代表である議員だというのだからどうしたものか。
最近は自民党による強行採決がいろいろと問題にもなっているようですが、こんなのが許されるのならば、強行採決も仕方がないかなと思ってしまいます。
まさに「先生、そんなこといいので授業続けて下さい」って感じです。
それなのにこの数日ほど、暫定税率が切れてしまう直前となり、ある種強行採決ができる側である与党の側が「道路特定財源を一般財源化しましょうか」と歩み寄りを見せたが、それを聞いているのかいないのか、提案の受け入れを拒否。
もう、民主党のやってることが、いわゆるニートのいいわけにしか見えないんですけど。
いい加減「もう言いたいことはわかったから、早いとこなんとかしろ。」と言われてるのに、フラットな疑問か、自民側の意見か見境がつかず、柔軟性をなくしてしまった民主党がまた何を言い出すかと思ったら、結局は何もできない男小沢一郎の言葉ですよ。
「暫定税率がなくなっただけですよ、そんなもの国民はわかってますよ、国民を馬鹿にしてるのか」
って、とりあえずその暫定税率があるのかないのかだけで、いつやるのかわからないバーゲンとかと違ってガソリンの値段が変わるから騒いでいるのにどういうことかと。
わかってるから、政治家であるあなた達がどうするのかと思っているのに。
言い方を変えれば、私たちは政治家じゃないんだから、あんた達のやることにそんな一から銃までいちいち構ってられない。
ただでさえ、生活に政治が関わってくること自体が面倒臭いというのに、どうしてこんな楽しくもない話題に付きっ切りにならなくてはいけないのか。
地域によっては、自動車がないと生活に支障の出るところもあるでしょうが、目先のガソリン代に目がいって民主党に任せてしまうと、なんだかんだ言いながらいろんなこと押し付けられそうで面倒臭そう。
結局は、国民の為に考えることはせず、国民の為に何かしてみて、それで自分たちに戻ってくる何かがほしいんだという風にしか見えない。
人が言った話ありきで進む話は、どこかにたどり着いたとしてもそこから降りることができない。
こうなると、福田総理が月が変わり記者に尋ねた一言
「暫定税率撤廃で、混乱しましたか?そうですか。」
というのがいろんな意味を孕んでくる。
突き抜けてくれるかと思ったら、全然そうでなかった民主党から受けたフラストレーションを一気に爆発させてしまいたい勢いである。
ちゃんと勉強してるってのに、ダメだダメだと言われるように、あとになって「あの時言う事聞いとけばよかったかな」と思える先生の言葉とも違う、ここまでダメなことが説明できてしまうことが、それでダメだとしても別に後悔しない、という思いにさせてしまう。
自分は基本的にノンポリではあるが、いくつか心に決めていることがある。
・嘘をつかない
・いろんな話はしても軸はぶらさない。
・基本的に今やってることは続ける
今にして参議院選挙の時は、自身の生活に納得がいってない人間が多いのだなと思う。
暫定税率の問題がどうなるかは別にして、これまで手をつける時間がなかったもの(それも元を正せば民主党が全体の足を引っ張るからってのもありそうだ)が、話す機会をもてたのなら、行き過ぎない範囲で徹底的にやってもらいたいものだ。
だがしかし、そうなったとしても民主党だけはどうあっても信用できなさそうだ。
どこまで知っているのだろうか
今日からJリーグ開幕。
ってことで、鹿島も勝ったようですし、このままゼロックススーパーカップでのレフェリング問題も過去形になっていきそうな感じで。
家本政明で検索をかければ、ゼロックス直後の意見とか飛び交っているようで、まあ賛否両論というか、当然だという意見から個人的感情、それから家本主審だけが悪いのかとかいろいろ話でてますが。
そんな中、日本協会から見解が発表されました。
http://www.jfa.or.jp/family/referee/news/080307_01.html
まあ自分も前書いた通りなんですけど、それよりもニュースとか見てて思うのだけど、そうやって言ってる人たちって、どれだけルールについて知ってるんでしょうかね?
ゼロックスでの試合内容とその後の鹿島の乱入騒動を見てもわかるように、昨年という一つの区切りがついた後のシーズン開幕初戦というのは注目度も高いわけで。
特に今年はJ1vsJ2というわかりやすい構図になってしまいましたから、選手もサポーターも2冠王者としては負けるわけにもいかない、という気持ちが強かったのか。
だからといって鹿島のサポーターがやったのは、負けたから詰め寄るという行為であって、リーグ戦で勝ったと聞いても、なんか白ける。
リーグ戦というのは長いわけで、他の強豪と呼ばれるチームの立ち上げはスロースタート。
それも代表組とかとの調整があるのを知っているからこそ許してる、許されている。
熱狂的なことで知られる浦和のサポーターが、天皇杯予選で愛媛に負けても、リーグ戦最終節で横浜FCに負けても、今回のようにならなかったのとはわけが違う。
そうでなくても鹿島は、昨年リーグ終盤に試合終了後の唾吐きで警告をもらったりもしている。
今回も、家本主審は序盤から無謀な動きの多い鹿島にヒートアップしてしまったが、日本協会の見解にもあるように、ルールの適用自体に大きな問題はない。
これまでには確かに誤審もあったかも知れない。
それまで溜まっていたものかは知らないが、感情の爆発によってルールなんて関係ない状態になってしまったことに何の意味があったのだろうか。
なんというか、それが通ってしまうなら、性犯罪を犯して処分・解雇しながらも海外に渡れば大丈夫だぐらいに考えた菊地直哉と同じ程度ではないかと感じる。
自分たちは何も知ろうとしないで、力技で公平性を求める。
要は昨年からの流れがそんなだったってことですね。
それでも辞めて当然と思ってる人からしたら、そんなこと関係ないんでしょうね。